学問・資格

2007/05/30

久々に母校へ行く2

今回も校門を顔パス出来た、今日この頃。
キャッホー。

今回の公開講座のテーマは「源頼政」

Dsc00315知ってる人いるかなぁー。
平等院に行った事がある人は、名前だけ見た事があるかもしれない。

そう、頼政はなんと!!!
「お伽草子」に出てきた源頼光の4代子孫なのだ!!!
源頼光頼政のひーひーじいちゃんかな。
武士だけど、歌人としても割と有名。

一番有名な頼政の逸話は、鵺(ぬえ)退治
近衛院が在位していた時、主上が丑の刻あたりにいつも気絶してしまうという、得体のしれない病気にかかってしまったのだけど、その病気の原因が鵺(ぬえ)という変化の物と分かったので、頼政が退治したという話。
鵺退治が成功したので、一躍歴史に名を残す事になったのだけど。
失敗したら、切腹してたと思われる。

Dsc00314写真にあるとおり、頼政は平等院で自害したのだ。
なんでかっていうと、以仁王の令旨をひっさげて挙兵を試みたのだけど、事前にバレて平等院まで逃げ延び、結局追い詰められて頼政渡辺唱(となう)の介錯で切腹。

武士というのは、首だけは敵に取られちゃいけないものなのだ。
敵の大将とかじゃなくて、小者に殺されるのもかなりの恥なのだ。
木曽義仲なんて、かなり小者にやられちゃって・・・。

切腹の後に介錯をした渡辺唱は泣く泣く頼政の首を取って、首を石にくくって敵の中を紛れて平等院を脱出。
その後、宇治川の深い所に首を沈めた、という話。

なんだけど。。。
やっぱり残ってるんだよね。首が流れ着いた所伝説。
まぁ、それはいいとして。

結局、この以仁王の令旨が効いて、源頼朝も挙兵したわけで。
彼は鎌倉幕府始まりのきっかけを作った人とも言えるでしょうねー。

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2007/05/21

久々に母校へ行く

P506ic0017498622ワテクシの母校で市民講座なる講座が春と秋に開かれているのだけど、今回の春季講座はワテクシのゼミの教授が講師って事で行ってみる事に。

まぁ講座の内容は「武士道と文学」って事なのだけど。

久々の母校だったんだけど、校門がドッキドキしたー。
歳が歳だけに、止められたらどうしようと思ったんだけど、あっさりパス。
ほっほー。ワテクシはまだ女子大生でもイケるってことか!!
まぁ・・・。未だに髪は茶色いしねぇ・・・。

それにしても、駐車場からの道が。ずいぶん店が変わっちゃって。
色々潰れたのねー。
コンビニもなくなってたし。

Dsc01175んで、こんなテーマで人集まるのかなー、なーんて思ってたんだけど沢山いた!
ビビったー。
でも、若い人って・・・。一人くらい?
私は入れないでだけど。
ほっとんど、おじいちゃんとおばあちゃん・・・。

なんか真面目で、先生の余談までメモっていた。
相変わらず余談の多い先生だわ・・・。

初回は平知盛さん。平清盛さんの息子さんですわ。
なんか、最近人の死に際にグッとくるよ。
まず、彼の息子である平知章の死に様。たぶん、ひよどり越えの時だと思うんだけど。
敵に馬で並ばれた父を助けようと、父と敵の間に割って入って討ち死に。
齢十六。
次は知盛自身の最期。
壇ノ浦で平家の負けを目の当たりにした知盛は、最期入水を選ぶのだけど、鎧をニ領来て乳兄弟とともに海に沈んで行った、との事。
鎧は一領あたり25キロだって。25キロだと、どうも沈みきれないらしい。
実際、未練がましく助かって捕らえられた人もいるし。

息子を見殺しにした自分。
他人が息子を見殺しにして生きていたとしたら、叱責するに違いないのに、自分の事となると命が惜しくなった・・・って正直に告白するあたりは生きていた証っぽくっていいね。

平家って色々、いやーなイメージが多いと思うけど。
所詮、平家物語の成立が鎌倉時代だからね。
歴史っていうのは、常に勝者からの立場で語られるから。
平家も色々なタイプの人がいるものだよ。
清盛だって、実はすご腕、冷静沈着の家臣思いの人なのだ。
でないと、天下は取れないよ。


木曽義仲の最期も中々泣けるし(巴御前がすごすぎだよ!!!)、平家物語って人の最期を書くのが上手いよ。

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